雑考誌・・・序




※1 山本有三
(やまもとゆうぞう)
1887(明治20年)〜1974(昭和49年)。現在の栃木市出身の作家・劇作家で、逆境に耐えて成長する人間をよく描いた。小説「路傍の石」、戯曲「米百俵」などがよく知られている。戦後は、日本国憲法の口語化や当用漢字の制定、文化財保護法など文化政策の推進に大きな功績を残した。



※2 フランク・ロイド・ライト

        (1867〜1959)
米国が生んだ、20世紀を代表する建築家。「カウフマン邸(落水荘)」、「グッゲンハイム美術館」の他、日本国内にも「旧帝国ホテル」、「山邑邸(ヨドコウ迎賓館)」などの名作を残す。およそ一人の業績とは考えられないほどの膨大な設計業績の中、一貫して「人間の生活の豊かさとは何か」、「人間性の保障に寄与する建築とは何か」を追求し続けた。



※3 フィリップ・ジョンソン

      (1906〜2005)
米国の建築家。ハーバード大学で哲学を学んだあと、世界中を旅して建築に関する見識を深めた。後に、ニューヨーク近代美術館(MoMA)建築部門ディレクターに就任。同館最初の建築展「モダン・アーキテクチャー」を開催し、当時古典主義様式が主流だった米国建築界に一石を投じた。37歳で建築家として活動開始。代表作に「グラスハウス」、「AT&Tビル(現ソニープラザ)」がある。後者は特に、建築における『ポストモダン』を代表する作品として知られている。
2005.05.27
 "人間50年 下天の内を比ぶれば、夢まぼろしの如くなり。
  ひとたび生を得て、滅せぬもののあるべきか....."

敦盛を舞うや、者ども我に続け!≠ニ孤塁の猛びを放って桶狭間に疾走した信長。今日の命を重ねて生きた戦国時代の人生50年=@信長が本能寺の露と消えた時、確か49才だったように思う。時代が違うと言えばそうなのだが、太平の時代に生きる人生80年≠フ中で、今日、私はその49才を迎えた。


私には好きな言葉がある。郷里の文豪 山本有三(※1)の余りにも有名な言葉だ。

 "たった一人しかない自分を、たった一度しかない一生を、
  本当に生かさなかったら、人間生まれて来たかいがない
  じゃないか"

建築家を志して、尚更この言葉が身にしみるようになった。誰でも建築家になる権利はある。権利はあるが、その資格が自分にあるかとなれば、事はそう簡単ではないのだ。
まだ学生服の頃、フランク・ロイド・ライト(※2)を知ってから、この資格が自分にありやなしやとずっと問うて来たように思う。35才の時、独立を機にライトの建物を見てまわった。まさに建築の神様がライトという人間に宿り、人類に感動を贈ってくれたのではないかと想えて仕方がなかった。それ以来私はそこに感動があるか?≠ニいう想いをいつでもどこでも私の人生の全てのフィルターにする事にした。感動≠アそが、生きていることの価値を教えてくれるのではないかとさえ想うようになった。自分が多くの感動を受けられるならば、自分の人生は豊かであろう。自分が建築を通して、多くの感動をもしや与えられるのであれば、建築家としての存在を許されるであろう。そう考えるようになった。
随分前になるが、東京でのフィリップ・ジョンソン(※3)の講演会は、超満員の聴衆の中、建築家は建築に選ばれなければならない≠ニいう言葉で閉会した。帰路、車窓に流れる風影の向こう側に、その言葉の意味をずっと考え続けていた。建築家になる権利ではなくて、建築家になれる資格とは何か。私にとってその資格とは、感動の量をどれだけ持ち合わせているのかという事のようだ。建築家は、その持ち合わせを常に私に試し続けてくることだろう。

49才の今日、あらためて今後の自分を見つめて行こうと決めた。
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