宗教の光と影・・・イスタンブール













※11 レンゾ・ピアノ

      (1937〜   )
イタリア生れの建築家.。「構造」や「設備」の先端技術を積極的に建築の表現に取り入れ、とりわけ「構造美」という側面において際立った特徴を見せる「ハイテク(または「ハイテク建築」)」の旗手としてリチャード・ロジャース、ノーマン・フォスターらと並び称される。様々な分野において先駆的な活動をなす専門家との協働を通じ、前衛的な思想、最先端の技術を盛り込んだ数多くの提案を行っている。中でも、カリスマ的構造エンジニアであるピーター・ライス、先述のロジャースとの協働によるパリの「ポンピドゥー・センター」は、ファサードに沿って登る階段、むき出しの配管など、その特徴的な外観とも相俟って「ハイテク」の代表作に数えられる。その他、ジェノアの「レンゾ・ピアノ・オフィス」、ヒューストンの「メニル美術館」が有名。我が国では「関西国際空港」によって一躍その名を知られるようになった。近年は周辺環境との調和を重視したものが多くみられるようになり、そのイメージを少しずつ変えつつある。
2005.08.27
 その昔、庄野真代という歌手が飛んでイスタンブール≠ニいう歌をヒットさせた。
この歌がイスタンブールという街の様子を綴ったものではなかったが、メロディが新鮮だったことは確かで、その頃の私は、イスタンブールという名前の響きに何とも言えぬ異国への興味をそそられていた。
独立以来、仕事と旅のせめぎあいが相変わらず続いていた1994年もいよいよ暮れになりイスラム圏を垣間見たい。欧州とアジアの入り口であり、出口であるオスマン帝国の都、イスタンブールへ.....≠ニいう想いがとうとう堰を切って、この年も女房に頭を下げたまま空港に向かったのだった。
 羽田から完成間もない関西国際空港へ。レンゾ・ピアノ(※11)設計の流線型ターミナルは、鮮やかな銀色に輝いて近未来が現代に降り立った姿の様に見えた。経由地であるオランダ:スキポール空港の果てない広さに異次元を味わい、イスタンブール上空に来た頃には、すでに起床してから28時間が経過し、さすがに私は深い眠りの中にいた。アタチュルク国際空港への最終着陸アナウンスが流れ、座席を傾けていた私は、スチュワーデスに起こされてしまったのだが、もし、あの時、肩をたたかれていなければ、あんな感動を味わう事は出来なかったのである。
 眠気まなこが見た窓の外の景色は、夢の続きと言われても決して疑うことの出来ない幻想的なものだった。
こんな夜景が、この世にあったのか.....
眠気は一瞬にして消え、息をのんでその美しさに見とれていた。
イスタンブールはなだらかな丘の街であり、この中にいくつもの白いモスクが散らばっているのだが、緑や黄色のカクテル光線にライトアップされたそれは、漆黒の闇の中で、この世の唯一の建物であるかのように、プカプカと浮かんでいたのである。
アラビアンナイト≠サのままを旅人に知らせてくれるこれ以上の演出はないであろう。数々の夜景の中で、これを越える美しいものを、私はまだ知らない。
地球に生きる生物の全ては、この夜景を見ずして死んではならないと今でも思っている。
そして、これらのモスクの設計者に逢いに来た私の胸は、早くも小気味よい緊張に高鳴っていたのである。
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