それでも生きる・・・カイマクル










2005.09.28
 トルコの旅で、ひときわ強烈な印象を受けた場所がある。
この国の中央部にはアナトリア高原が広がり、そのまた中央にネクシェフールと言う街がある。
トルコには昔のシルクロードが3本通っていて、このうちの1本である現在の国道90号線を私はアンカラから南下し、この街へ向った。
 360度何処までも続く高原の雪の丘陵は、ただ波打つ様に繰り返すだけで、見えるものといったら道路沿いに細々とした電線をつないでゆく ひょろりとした木製の電柱だけである。
ネフシェフールから東に向えば、奇岩群で有名なギョレメや、無数の岩穴があるウチヒサールなどに着くし、南に向えばカイマクルという小さな街に出る。
これらの街を総称カッパドキア地方と呼び、昔は“トルコの半分”とも呼ばれていた。
 
 カイマクルは一見何も無い街に見えるのだが、何と地下都市が44ケ処も見つかった所だ。
1964年に最初の都市が発見されてから、現在も発掘中で、この先、新たな地下都市の発見があるかも知れない。
都市と言っても、その構造は原始的なもので、足元の岩盤の中にトンネルを掘り進みながら、蟻の巣の様に通路と居住室が横穴としてめぐらされているだけなのだが、驚いたのはその長さと深さである。

 地下8階の最深部は水槽となり、ここから1M角位の竪穴が一直線に8階分を貫いて通気孔になっている。気温は常に14℃に保たれ、貯蔵庫、食堂、集会所から学校や教会まであって何と15,000人の初期キリスト教徒達が、他教徒からの迫害を逃れてこの地下に住んでいたという。
ただし、いつの時代かと言うと、ローマ時代だろうという推測だけで正確な時代は謎だ。
ヒッタイトの鉄の発見は武器のみならず、逃避の為の穴掘りの道具にもなっていたのだろうが、それにしても一ヶ所しかない狭い入り口を入るや、ガイドなしでは帰れない様な果てしない迷路である。
腰をかがめて頭上に神経を集めないと歩けないのだから足元がおぼつかない。
私は肩の触れそうなトンネルから小さな穴だけの住まいを見て、やはり、大陸の民族対立と宗教対立の歴史を想った。
こんなところで身を潜めながら共同生活を送り、互いに寄りどころを求めながら、精神の安定を図ったのだろうか。余りにも日本とは縁遠い命がけの逃避の果ての様子を想像して、私は思わず背筋を凍らせた。
下へ下へと伸び続ける曲がりくねった1本のトンネルを見ていると、生きようとする人間の執念以外に、私の知り得る宗教性など
微塵も感じてこない。
人間と動物との違いは、言葉と火を使い、笑う事だそうだが、こんな地下で炎を囲み、何をか話をしていたにしても彼らの中に笑いが存在したとすれば、ぎりぎりの緊迫した生命の中でどんな笑いだったのだろうか。
 
 その昔、カッパドキア地方に住んだ人々を“世捨て人”と呼んだそうである。
穴から這い出しては穴に戻る生活は、隠遁者の様の写ったのだろう。
神をうらむ事はなかったと言えるのだろうか。祈りが果たした役割とは何だったのだろう。

 もしかすると、今の宗教とは“命がけの祈り”という点に於いて、余りにも大きな違いがあったのかもしれない。
地球の何億年という年輪が生んだ きの子の様な奇岩群を見ながら私は人生に与えられた時間と宗教とに想いを馳せた。
そして、現在の日本に生きる人間として感動という神が宿る様な建築を創りたいと強く想った。
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