震災の街へ・・・神戸
2005.11.25
“事実は小説よりも奇なり” と言う。
特に地球が狭くなり、世界の出来事がライブで放映させる現代にあって我々は、いやでも数多くの驚きを見せつけられる様になった。そのせいだろう “人が死ぬ”と言う事にもさほど刺激を受けず、毎日なんとなく見過ごしている。
事実も小説も現代人にとって奇ではなくなりつつあるのだろう。
そんな中にあっても、やはりテレビやラジオに釘付けになる事が稀にある。
人は起こしたくないが起きてしまう・・・これを事故とするなら、人が起こしたく起きてしまう・・・これは事件と言える。戦争は事故であり事件でもあるだろう。事故、事件 いずれにしても不幸極まりない出来事に釘付けになる。
だが、もう1つ、たかだかの人間の力を遥かに超える出来事と我々は隣り合わせに生きている。それは“天災”と呼ばれ、人智などまったく通用せず、ただ逃げまどう事ですら容易ではない。人間の無力を虚しく知らされるだけであって、ただ1つ願う事は、“どうか我が身に降り懸からないで欲しい・・・”それだけなのだ。
その天災が10年前の1995年1月17日午前5時46分、神戸を中心にして起こった。そこに生きていてしまった人達にとって、1秒前までの現実を想うと、その1秒後の現実を受け入れる事など決して出来まいと思う。
6,300人の命が決めた名前は「阪神・淡路大震災」だった。
早朝のニュースでは、神戸の震度だけが表示されない・・・・。そんな異常さで、その日が始まったのである。神戸以外の関西地区が伝えてくる映像は、この後知る事になる神戸の“修羅場”を予感させた。
最初に届いた神戸の映像は、朝焼けの中に黒煙の柱が何本も立ち昇るヘリコプターからのものだった。続報に見入った。高速道路が横倒しになっている。港が潰れて海にめり込んでいる。線路も電車も宙に浮き、道路に致ってはアスファルトの原型を留めていない。車は、そんな地面にボンネットを逆さまにして突きたてている。かろうじて倒壊を逃れたビルでさえ、中間階が潰され、窓を無くしたブラインドだけが虚しく風にゆれている。
余りに不気味な静寂の“絶望”と言う映像だった。無力だった。何もかも・・・・。
大地震が大都会の直下に起きた姿は、地球が人間の星である事を真っ向から否定された現実として全世界に流されたのだった。
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