あの時、全ての仕事を投げうって、神戸に駆け付けるべきか私は悩んでいた。しかし、一度赴けばそうそう簡単に戻れる事はあるまい。私を取り巻く現実は、ボランティアになる事も、建築家として、胆に学ぶ事も選ばなかった。正義や倫理だけではなく、良心のかけらもない一人の傍観者である事に私は悩んでいた。
40年近く生きて来て、あれ程、自分に猜疑心を持った事は無かった。程なく地下鉄サリン事件がおき、世の中が神戸から東京のオウム一色に移行していった事で、私の中にあった神戸に対する背信意識の様なものも、徐々に薄れて行く事を感じていた。あの時からの4ヶ月半と言う時間が私に下したものは、神戸も東京も遠い世界の何のらくいんもない仕事人としての生き方だけだった。
私は、これからの人生を嘘の建築家として生きて行けるのだろうか・・・。≠サう思った自分が許せなかった。
私の毎日が、とめどない早さで過ぎれば過ぎる程、神戸の復興は確実に進む。しかし、復興を願うと言う事は、復興前の姿をこの眼に焼き付けてこそ真に願える事なのではあるまいか・・・
伊丹空港から大阪梅田に向う高速バスは、渋滞の中に動きを止めた。車の走れる道路そのものの改修が、まだ進んでいないのだ。西に向うJR神戸線は武庫川を渡っていよいよその住宅地に不似合いなブルーシートの屋根を映し出した。神戸市東灘区に入って歯の抜けた様に何も無い敷地が現わになる。建物の無い敷地がいよいよ多くなって大都市に起こった異常を訴えて来た。
必要の無い胸騒ぎの中に私は居た。明石に向って、私は車輌連結器を背にして立ち、進行方向を正面にした。左右に広がる現実を少しでも眼に留めて置く為にである。三宮の灰塵の中を人が忙しく動いているのを見て、少し安らいだのも束の間、新長田駅に近づくと、荒りょうの中に敷かれたレールの上を電車が滑るだけの光景しか見えない。鷹取駅にまで続くその光景を見て、私は初めて怒りを覚えた。
須磨駅から広がる瀬戸内海の穏やかな景色は、今見て来たものが嘘であったかの様に静かに佇んでいた。
明石海峡フェリーで淡路島に向う。今でこそレインボーに輝く明石海峡大橋は、まだ橋梁の姿も無く、橋柱にメインロープが掛けられたところだった。岩屋から北淡町をめざす。大きな断層が出来、古い木造の建物が、殆んど倒壊した所だ。家々の撤去はほぼ終っていたが、赤黒い地肌が現わになったままで、人の気配や生活感がまるで感じられない。古くから続くであろう静かで穏やかな村社会が、何故こんな目に逢わねばならないのか。村という眼に見えぬ家族が、本当に見えなくなってしまっていた。
悪魔の姿を見る為に断層のある場所へ。すでに危険区域として柵で囲われ、関係者以外の立ち入りを禁じられていたのだが、雨が降っているせいか人影が全く無い。私は魔力に吸い込まれる様に柵の中に入ってしまった。しばらく歩くと地表に無数の亀裂がある。それを追って進んで行くと、段々地割れが広くなる。地表が裂けるというものは、実に不気味だ。足を踏み外して、そこに吸い込まれ、どこかに落ちていく夢を想い出して、1、2歩たじろいでしまった。地割れと平行に歩みを進めると断層が姿を現した。
延々に続く悪魔の踊りなのか。その踊りの上に我々は無謀にも建物を建てて来たと言うのか。
土地に定着してこその建物が、土地ごと上下に分断されれば、強い定着力のある建物程、原型を留めないに決まっている。
私は、やはり人間の無力をわざわざ感じに来たのだろうか。雨が断層に吸い込まれていく。
今、ここが揺らされたら、私もこの世から消滅するのだろう。そう思ったら悪魔に魅入られた少年の様に体が震えて止まらなかった。
日本全国にある活断層が地図になっている。勿論この場所にも太い赤線が走っていた。いつかこうなる、解っていてこうなる。我々は、命の刹那を遠い我々の祖先より教え込まれて来た国民なのだ。しかし私は、ただやり切れぬ想いだけを募らせて、この断層を後にするしか出来なかったのである。
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