~ 第11節 私の教わったこと・1 …
           荒川静香選手編~


 ...誰もが〝 美しい 〟と想えるもの、それを追求し表現しなさい...

トリノオリンピックのアイスリンクを、一番優雅に舞った荒川選手(※ 1)が、
建築家の私に教えてくれた事だ。


 街を歩き、最近特に私は、〝 美しい建物 〟を創らねば、このままでは
建築の神様が怒り出すと思うようになってしまった。

 こういう事だ。
仮に、〝 美しいとは感覚によるもので、個人差もあろう 〟とするなら、
私はそんなものを本物の美しさ、超一流のそれとは言わない事にしている。

 アマチュアの誰もが見て、〝 美しい 〟と感じるものがあるとすれば、
これは立派に一流だ。
プロの誰もが〝 美しい 〟と認めるものがあるとすれば、これも立派に
一流である。
 要するに一流とは、その世界の片方が大いに合点することで足りるのだが、
残念なことにそれは超一流ではない。
アマチュアもプロも、その誰もが共に合点することを超一流と言うことに
私はしている。
 
 アマチュアの現実的な要求も満たし、プロの先行性も兼ね備えるものだから、
無論、創り手として生易しい筈がない。
これはどの世界にも言える。
そして建築の世界ではこういう事だ。
 
 アマチュアにだけは、やけに受け入れてもらえる建物が、沢山溢れている。
だが、それらにプロは一切眼もくれない。
そこには時間の先行という〝 未来への美しき価値 〟がないことを、
プロは熟知しているからだ。
 逆に、プロにだけはやたら評価される建物が、これも毎年の様に生まれている。
だが、それらにアマチュアの誰も振り向かない。
そうは言ったって、そこには生活感を満たして余りある
〝 現在への美しき価値 〟がないことを、アマチュアの身体が感じ取るからだ。

 どちらの側から見ても、埋めようとして一向に埋まらない虚構の様だ。
あえて言えば、単なる一流とは虚しいものだと私は思っている。
 そして私は今まで、少ないなりにもアマチュア受けも、プロ受けも
やって来た様に想っている。
 
 問題はその両方を満たせるものを創れて来られたのだろうか...。
この仕事についた時の高き目標を、自ら気が付かぬうちに、
低きものにして来なかったか...という啓発だ。
言い換えれば、超一流に何が足りないのか、いつも創作のふるいを
振って来たのかという猛省だ。

 本物の超一流を創りたいのだ。
そのキーワードは〝 現在も未来も美しい 〟という表現に尽きると思うこの頃だ。

 歴史は物語る。
時を経て残る真価とはどんなものか。
それは感動を伴うものであり、
その感動とは、美しいものや、凄いものを見た心の動きであり、
その心の動きとは、決して難解にして頭で理解を求めるものではない。
理屈を要しない、バランスの羨望への震えの事だ。

 それが認められたもののみ歴史は残して行く。


 荒川選手の話に飛ぶ。

 私は彼女から、今までの日本人アスリートには少ない、個の並々ならぬ
芯の強さを感じた。
今のフィギア―の採点は、3回転から4回転のジャンプの高さ、
ステップの速さ、スピンの正確さ等、余りに機械的な技術の点数を競う。
 優雅な舞や、しなやかさ、繊細な表情など、女性の特性は二の次だ。
為に荒川選手の代名詞、イナバウアーは全く加点されない。
 人間的な表現から遠ざかる事で、点数を上げざるを得ない現採点のゆくえは、
スケーターの低年齢化を招いている。
 その採点法に彼女は敢えてチャレンジした。
 
 プロの採点が技術の上にだけあるのなら、5回転を10回やれば金メダルだ。
しかし、そんな女子フィギア―を審判員ではない誰が見ようか...。
あのコスチュームは何の為か...。
 
 荒川選手は幸な事に、身長もあり、手足も長く、外国勢の中に入っても
何ら見劣りしない。
むしろ体のしなやかさや、首の長さなど絶対的な美は勝っていた。
しかも、クールビューティーといわれる、冷静にして感情の起伏を
表情に出さない彼女の東洋的神秘さも、その美を際立たせていたと言っていい。

 スタンドの観客は、プロの技術的採点者ではないが、敢えてイナバウアーを
入れて美しく優雅に舞ったスケーターの、競技美という価値に対する採点者であり得た。
それは4分間の演技が終わる前からの、拍手とスタンディングオベーションが、
何よりも物語っている。
 トゥーランドット(※ 2)の音楽と一体になった一つの動体が、
人間の尊厳さまでも表現していた。
が...、私には美しき氷の神様の、妖艶ないざないに違いないとさえ思えた。
私は人間に乗り移ったそんな妖精に、ただ見とれていた。
余りの美しさに、時間を忘れた人も多いと思う。

 表彰台の真ん中に立つ彼女には、もちろんそれなりの道のりが
あっての事なのだが、その行きつく先に、彼女はいつも〝 美しさ〟を
見失うことなく追求し続けたのだろう。
そして、その美への信仰の執念さに、人々は憧憬のため息をついたのだろう。

 
 私は想う。
技術的にどれほどの建築が出来たところで、やはりそれが美しいかどうか...。
奇抜な素材感や色彩を放った建築が出来たところで、やはりそれが
美しいかどうか...。
美しいかどうかを考えさせる建築があったところで、それが美しい訳は
ないのである。

 〝 美しい 〟とは、考えることをすでに超えている。
感動という心の動きが、美しいのかどうかを教えてくれると思っている。


 
 ここに私が銘句と信じて疑わない一文を記したいと思う。

『 すべての芸術の真価は、大衆の誰にも理解されうる普遍的感動によってのみ証明される。』 (浅田次郎 ※ 3)

『 時代がいかに変わろうと、人間にとって不変で根源的なものの存在を、
新しい手法の内で、あらためて歴然と知らされるという感動。』 
(石原慎太郎 ※ 4)


 プロを唸らせ、アマチュアから絶賛された荒川静香選手こそ
超一流の称号に相応しい。
 こんな痛快な日本の誇りに比べて...、私の目指すべき高みは
 恥ずかしながらまだまだ見えない。
 
金メダルの翌日、荒川選手の伸びやかなエキジビションがあった。
私はまるで、彼女を美の伝道者としての建築家に、見立ててしまっていた。
いや、〝 美しき 〟ため息を誘う建築そのものの化身の様だった。

 荒川静香選手は教えてくれた。
「 一流ではいけませんよ...誰もが納得感動する超一流の建築を創って下さい。」
 と...。





※1 荒川静香
  (1981~ )
神奈川県生まれ。プロフィギュアスケーター。トリノ五輪金メダリスト。
5歳の時にスケートを始める。小学3年生で3回転ジャンプをマスター、12歳の時に国際大会で優勝、中学時代は全日本ジュニア選手権で3連覇、高校ではシニアに転向し、全日本選手権優勝、長野オリンピックに出場するも13位。その後も数々の大会に勢力的に参加するがソルトレイク五輪は選考からもれる。2004年には世界選手権で優勝し、2006年トリノ五輪で優勝を果たし、現在はキャスター・プロスケーターとして活躍。

























































※2 トゥーランドット
イタリアの作曲家、ジャコモ・プッチーニによる最後のオペラ曲。
『カラフ王子と中国の王女の物語』という物語のオペラ戯曲を基に作られた楽曲。ここでいうトゥーランドットは『誰も寝てはならぬ』で、3幕目に歌われる。
中国王女トゥーランドット姫に求婚者が現れるなか難問をクリアし、婚約を確信した時に王子が歌うのが、この曲である。
曲調の盛り上がりがフィギュアと合うため、この曲を使うスケーターは少なくない。荒川静香も2004年世界選手権、2006年トリノ五輪でこの曲を使用し優勝している。


※3 浅田次郎
 (1951~ )
東京都生まれ。小説家。
本名 岩戸康次郎(いわと こうじろう)
高校卒業後自衛隊に入隊。その後、アパレル業界で事業を興し、様々な職につきながら執筆活動を続ける。1991年39歳の時「とろられてたまるか!」でデビュー。
その後「地下鉄に乗って」(メトロにのって)で吉川英治文学新人賞、「鉄道員」(ぽっぽや)で直木賞を受賞。映画化、ドラマ化された作品も多い。ヘビースモーカーでギャンブル全般が趣味。


※4 石原慎太郎
  (1932~ )
兵庫県生まれ。現東京都知事(2006.2現在)、小説家。
一橋大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞を受賞。参議院・衆議院議員、大臣を経て、「東京から日本を変える」をスローガンに2度目の立候補で都知事となる。主な政策としては、東京オリンピック構想、ディーゼル車排ガス規制、米軍基地返還、臨海副都心開発などがある。
弟は昭和の名優石原裕次郎。