~ 第13節 震災の街へ     
     … 神戸・1 ~


 " 事実は小説よりも奇なり "と言う。
特に地球が狭くなり、世界の出来事がライブで放映される現代にあって、
我々は嫌でも数多くの驚きを見せつけられる様になったと思う。
 そのせいだろう、" 人が死ぬ "と言う事にもさほど刺激を受けず、
毎日なんとなく見過ごしている。
 事実も小説も、現代人にとって奇ではなくなりつつあるのだろう。

 しかしそんな中にあっても、やはりテレビやラジオに釘付けになる事が、
稀にある。
 
 人は、起こしたくないが起きてしまう...これを事故とするなら、
人が、起こしたくて起きてしまう...これは事件と言える。
 そして戦争は、事故であり事件でもあるだろう。
事故、事件...いずれにしても不幸極まりない出来事に、我々は釘付けになる。

 だがもう一つ、たかだたの人間の力を遥かに超える出来事と、
我々は隣合わせに生きている。
それは" 天災 "と呼ばれ、人智など全く通用せず、ただ逃げまどう事すら
容易ではない。
人間の無力を虚しく知らされるだけであって、ただ一つ願う事は、
" どうかわが身に降りかからないで欲しい... "それだけなのだ。

 その天災が11年前の、1995年1月17日 午前5時46分、
神戸を中心にして起こった。
 そこに生きていてしまった人達にとって、1秒前までの現実を想うと、
1秒後の現実を受け入れる事など、決して出来まいと思う。

 6300人の命が決めた名前は、「 阪神・淡路大震災 」だった。

 早朝のニュースで神戸の震度だけが表示されない...。
そんな異常さでその日が始まったのである。
神戸以外の関西地区が伝えてくる映像は、このあと知る事になる神戸の
" 修羅場 "を予感させるには十分だった。
 最初に届いた神戸の映像は、朝焼けの中に黒煙の柱が立ち昇る、
ヘリコプターからのものだった。
 そして次々に入る続報に釘づけになった。
高速道路が何百mも横倒しになっている...。
港が湾曲して海にめり込んでいる...。
線路も電車も宙に浮いている...。
道路に至ってはアスファルトの原型をとどめていない...
車はそんな地面にボンネットを逆さまにして突き立てている...。
ビルが横になり路上をふさぐか、そっくり隣のビルにもたれかかっている...。
かろうじて倒壊を逃れたビルは中間階が潰され、吹き飛んだ窓に
ブラインドだけが虚しく揺れている...。

 余りにも不気味な静寂の" 絶望 "という映像だった。
無力だった...日本人の全てが...。

 大地震が大都会の直下に起きた姿は、地球が人間の星であることを、
真っ向から否定された事実として、全世界に流されたのだった。

 
 あの時、全ての仕事を投げうって、神戸に駆け付けるべきか私は悩んでいた。
しかし一度赴けば、そうそう簡単に戻れることはあるまい。
私を取り巻く現実は、ボランティアになる事も、建築家として肝に学ぶ事も、
選ばなかった。
正義や倫理だけではなく、良心のかけらもない一人の傍観者でいる事を選んだ
自分に悩んだ。

 40年近く生きて来て、あれ程自分に猜疑心を持った時はなかった。
だが程なく地下鉄サリン事件が起き、世の関心が神戸から東京のオウム一色に
移行していった事で、私の中にあった神戸に対する背信意識の様なものも
徐々に薄れていく様に感じていた。

 その時からの4か月という時間が私に下したものは、神戸も東京も
遠い世界の、何の烙印もない今日の仕事人としての生き方だけだった。
そんな生き方をすればするほど、心の底辺からどす黒い気泡が上がってくる。
" 私はこれからの人生を、知らされた仮面だけををかぶり、嘘の建築家として
生きていけるのだろうか... "
 自分にそう問うた自分が許せなかった。

 私の毎日が、とめどない速さで過ぎれば過ぎるほど、神戸の復興は確実に進む。
しかし復興を願うという事は、復興前の姿をこの眼に焼き付けてこそ、
真に願える事なのではあるまいか。

 季節を一つ送ってしまった。
だが事実を知る、あろうべき建築家として向かう場所に、
やっと迷いはなくなっていた。