~ 第14節 悪魔の口     
     … 神戸・2 ~


伊丹空港から大阪梅田に向かう高速バスは、渋滞の中に動きを忘れた。
震災により、車の走れる道路そのももの改修が、まだ進んでいないのだった。

 大阪から西に向かうJR神戸線は、武庫川を渡っていよいよその住宅地に
不似合いなブルーシートの屋根々を車窓に映し出した。
神戸市東灘区に入って、歯の抜けたように何もない敷地が現わになる。
建物のない敷地がいよいよ多くなって、大都市に起こった異常を訴えてきた。
 
 必要のない胸騒ぎの中に私はいた。
明石に向かって、私は車両連結器を背にして立ち、進行方向を正面にした。
左右の車窓に広がる現実を少しでも眼に留めて置く為にである。
三宮の灰塵の中を人が忙しく動いているのを見て、ほんの少し安らいだが、
それも束の間、新長田駅に近づくと荒涼の中に敷かれた2本のレールの上を
無力感を乗せたこの電車が滑っていく他は何も見えない。
鷹取駅にまで続くその光景をを見て、私は初めて矛先のない怒りを覚えた。

 その怒りが虚しさに変わる時、視線はいつの間にか床に落ちていたことに気づく。
すると...力のない瞳に海を知らされた。
須磨駅から広がる瀬戸内海の穏やかな景色は、今見てきたものが全て嘘で
あったかのように、静かに佇んでいた。


 明石海峡フェリーで震源地である淡路島に向かった。
今でこそレインボーに輝く明石海峡大橋は、まだ橋梁の姿もなく、橋柱をつなぐ
メインロープが掛けられたところだった。
岩屋から北淡町をめざす。
この震災で大きな断層が出来、古い木造の建物が殆ど倒壊した所だ。
家々の撤去はほぼ終わっていたが、赤黒い地肌が現わになったままで、
人の気配や生活感がまるで感じられない。
古くから続くであろう静かで穏やかな村社会が、何故こんな目に
遭わねばならないのか...。
村と言う眼に見えぬ家族が、本当に見えなくなってしまっていた。
これを悪魔のしわざと呼ばずして、何と言えばいいのだろう...。

 私は身を隠した悪魔の姿を見るために、断層のある場所へ向かった...。
すでに危険区域として柵で囲われ、関係者以外の立ち入りを禁じられて
いたのだが、雨が降っているせいか人影が全くない。
私は魔力に吸い込まれる様に、何の抵抗も思考もなく、柵の中に入ってしまった。
しばらく歩くと地表に無数の亀裂が走る。
それを追って進むと、段々地割れが1本の線にまとまりどんどん広くなる。
 
 地表が裂けるというものは実に不気味だ。
足を踏み外して裂け目に吸い込まれ、どこかに落ちていく夢を想いだして、
1、2歩たじろいでしまった。
 地割れと平行に歩を進めると、突然断層が姿を現した。
地層が湾曲したその姿は、悪魔の笑い顔に見え、思わず体が身構える。
形を追っていくと、果てぬ笑い顔がうめき声をあげてきたかの様だ。
いや、もしかしてこの光景は、滅多に見せぬ悪魔の踊りなのか...。
その踊りとも知らず、我々はその上に無謀にも建物を建ててきたというのか...。

 土地に定着してこその建物が、土地ごと上下に分断されれば、強い定着力の
ある建物程、原型を留めないに決まっている。
私はやはり人間の宿命的無力さを、わざわざこの地に感じに来たと言うのか...。
 降りしきる雨が肩を寄せて断層に吸い込まれていく。
今、ここが揺らされたら、私も雨を追ってこの世から消えるのだろう...。
そう思ったら、悪魔に魅入られた少年の様に体が震えて止まらなかった。

 日本全国にある活断層が地図になっている。
勿論この場所にも太い赤線が走っていた。

 いつかこうなる。そう解っているのにこうなる。
我々は命の刹那を遠い我々の祖先より教え込まれてきた国民なのだ。
しかし、私はただやり切れぬ思いだけを募らせて、この悪魔の口から
後ずさりをした。

 傘に当たる雨音だけが聞こえる。
今、生きている確信はこれだけだった。