~ 第15節 お婆ちゃんのエール     
          … 神戸・3 ~

 
 震災の街、神戸に来て三日、兎に角歩いた。
水の出ない宿でも、泊まれることをあてにしては歩き続けた。

 そんな神戸の中心街、三宮は大阪の梅田と同じく、阪神、JR、阪急の
電車が走るキーステーションになっている。

 大きな街だから当然人の数は多いのだが、街行く人の表情は
やはり暗いものだった。
駅南側のサンプラザや、センタープラザビルが潰れている。
そごうデパートはシートに包まれたままで、さん地下という大きな地下街への
出入り口も限られている。
 その街の顔となる建物が無残な姿を呈していれば、そこを往来する人達に
笑いがないのは当たり前だろう。

 三宮から南北に走るメインロードをフラワーロードといって、北に向かえば
新幹線の新神戸駅、南に向かえば市役所からメリケン波止場へと続く。
こんなメインロードも、車道こそ車線を減らして復旧されたが、
歩道のブロックはまだ波打ち、割れたままだった。

 私は三宮からフラワーロードの1本東に入った、それこそ人用の路地を、
北に歩いた。
見上げれば、小さな高い空間の中で、まるで積木の様に建物が建物に
もたれかかっている。
解体をするにしても、こんな狭い路地に重機が入れる筈がない。
そこには大都市型でしかない困難な工事が待っている。
高い土地代を払ってこそ成り立つ商売が、完全に動きを止めている。
人の遠ざかった建築は、再興できない人たちの数を知らせる。

 北野の異人館を巡った。
有名な観光場所が、よどんだ空気に埋もれたまま、傷の手当てを
精一杯していた。
うねった坂道は、まるで人を拒む要塞になった。
そしてそんな北野は、初めて人のいない居留地となった。

 今度は東門筋という通りを南に下りて、生田神社に向かう。
相変わらず、屋根だけを地上に伏せた格好で再建を待っていた。
神様は痛々しいお住まいから離れ、空中を彷徨っていらっしゃるのだ。
 銅板屋根を葺き替えるための、新しい赤銅板が、寄進者の名前を連ねて
受付に並べられている。
一刻も早く神様に戻ってきて頂こう。
今の姿が続く限り神戸の復興はない。
今でこそ中央区だが、最近まで生田区といっていたのだ。
神戸の人達のより所であるその有名な神社に、今私にできる事をさせて頂いた。

 三宮から、うねった歩道につまずかぬ様、南に向かう。
旧市役所の中間階が、潰れたまま放置されている。
隣に20数階建ての新市役所があった為、かろうじて行政が続けられたのだろう。
この新市役所の展望階に上がって、街を見下ろす。
やはり、大きな街だ。
その大きさゆえに、甚大な被害を知らされる。
四方を見渡す。
ビルの屋上の座るべきクーリングタワーや貯水槽が、変形して横たわる。
私はため息で佇んだ。
すると、1人のお婆ちゃんが私にぶつかって来た。

 「 あっ...ごめんなさいね...、街の様子にばかり眼がいってたものだから...。
  あたしは小さいときに関東大震災にあってね...、
  それから戦争で焼け野原になるまで東京にいたんだ...。
  命拾いをするのはこれで3度目なんだが...、あ~、神戸は立派なもんだ...、
  これならすぐに復興する...、うん大丈夫だ...、大丈夫だよ...、大丈夫だ...。
  ごめんなさい、つい話なんかしちゃったねぇ... 」

そう言って次の窓に歩き、また遠くを見つめていた。

 見ず知らずの私に語ったお婆ちゃんの語気は、確かに自分に言い含める様に
強いものだった。
しかしそれは、明らかに怒りではない何かだった。
無論、諦めではない何かなのだ。

 唯一度として生死を彷徨った事のない私には、お婆ちゃんの人生が
そうさせるであろう希望の尊さを教わった様な気がしてならなかった。

 人命の尊さは、希望の尊さのことなんだよ...と。