金 壽根(キム・スグン ※ 1)の事務所は、空間社(コンガンシャ)と言い、
S・G・C( スペース・グループ オブ・コリア)と呼ばれている。
この地下に劇場があり、着が早いかツアーの歓迎会を催してくれた。
ステージだけに照明が集まる。
4人の若者が、韓国の伝統的衣装に身を包み、それぞれが持つ4つの打楽器を
ひたすら打ち続ける。
奏でる韓国音楽は劇場に満ち溢れ、ジャズの様でもあるし、乱打する様から
放たれる激しい音のリズムは、サンバの様でもあった。
奥深い祈りなのか、溢れるままに伝えたい希望の表現なのか、4つの音は、
オーケストラに勝るかの様に、私の心を鷲掴みにした。
「 いかがでしたか、皆様...。」
たしかこのツアーには見かけない日本人女性が言った。
「金は、韓国と日本を同じように愛しておりましたが、あらゆる韓国の伝統を
守ることに主人は力を注ぎました。今まで多くの日本の友達が、主人を訪ねて
来て下さいましたが、今日、私は、日本に生きる皆様とお会いできることを
心待ちにしておりました。」
...そうか、この人が金と共に海を渡り、韓国の人となった道子夫人か...。
そういえば、前編に記した丹下(※ 2)も金も、一所員として修業していた頃に、
生涯の伴侶と邂逅した。
そして、ついでに言うが、共に夫人は大変な美人なのである。
そんな夫人が続ける。
「 ささ、中庭でウエルカム焼肉パーティを始めましょう。そして、何の
遠慮もなく、金の事務所を見て行って下さいね...。 」
私は、利発さを兼備する美しきこの女性に見とれていたが、
゛ それではお言葉に甘えて... ゛と、早速事務所の中に潜り込んだのだった。
地下1階、地上5階のS・G・Cは、わざと幅の狭い階段や、低い天井が
用意されていて、その為に他の広さや高さを、逆に演出させる空間になっている。
スキップフロアーの連なる空間は、どこにいても人間の気配を感じられる
気持ちの良いものであった。
金の真骨頂は ゛非生産的な第三の空間 ゛と呼ばれる、機能以外に意味を
持たせようとした空間の存在にある。
そんな中にたたずんでいると、所員さんだろう女の子が、コーヒーを差し出し
ながら、
「 焼肉パーティへは行かないのですか?。」と、流暢な日本語で話しかけて
きた。
『 日本語お上手ですね。』と、私は驚きをもって反応した。
「 韓国の大学は、第一外国語は英語ですが、第二は日本語なんですよ。
所長と話をなさいますか?。」 言われるままに彼女の後をついて行く。
設計部は、すでにオールCAD化されており、所員たちは忙しくマウスを
動かしている。
若い所長だった。いや、全員が若いのである。
勿論、この若者たちは、金というカリスマ性を持った芸術家に学ぶことを
選んだのであるが、師なきあと、どんな想いで仕事をしているのか、
率直に知りたかった。
『 金 壽根 以外の建築家に興味はありますか?。』と、所長に聞いてみた。
即座に返ってきた答えは、私にとって意外なものだった。
「 槙 文彦(※ 3)さんは大好きです。」
なるほど、韓国もすでにボーダーレスの時代にあり、ポストモダンの情報が、
世界を同時に巡っている事をあらためて感じた。
所長はS・G・Cの雑誌や、オリジナルのメモ用紙、おまけに韓国の配筋図
まで、プレゼントしてくれたのだった。
『 いい記念になりました。 』と礼を言うと、背後から声がした。
振り向くと美しき夫人が微笑んでいる。
金が逝った後、この総合芸術の場を一人で切り盛りしている元日本人女性の
苦労がいかばかりか、私などに想い及ぶ筈はないのだが、その時の私は、
あろうことかどこかで哀れんだ表情をしていたのかも知れない。
そんな私に、
「 私には、金の意思が重くのしかかっておりますが、私は日本人ですから
弱音を吐かないのです。」
道子夫人は潤いに輝く瞳で笑いながらそう言うと、くるりと振り返るなり
仕事中の所員に、ハングル語で矢継ぎ早に指示を出した。
身振りと共に熱のこもった口調を聞いた所員は、安堵したように仕事を続けた。
金の生涯に ゛志半ば ゛という言葉を使えば使えるのかも知れない。
しかし、こんなにも凛と立つ美しき日本人女性が、その後を支えているでは
ないか。
ここに、私の金に対する果てないジェラシーは、より確実なものになったの
だった。
私にとってのソウルは、何の余裕も持ちえなかった若きあの頃にこそ、
訪れるに相応しい場所だったと、今も思っている。訪れるに相応しい場所だったと、
今も思っている。