~ 第5節 百億ドルの夜景 …
イスタンブール・1 ~
『 この世に生まれたからには、この夜景を見ずに死んではならない 』
いや、こんな偉そうな言い方は良くない...。
心から伝えるには、何といえば良いのだろう...。
『 どうか、どうか...、どうか、この夜景だけは何があっても見て下さい。 』
そんな夜景が私にはある。
その昔、庄野真代という歌手が、「 飛んでイスタンブール 」という歌を
ヒットさせた。
この歌がイスタンブールという街の様子を綴ったものではなかったが、
メロディが新鮮だったことは確かで、その頃の私は、イスタンブールという
名前の響きに、何とも言えぬ異国への興味をそそられていた。
独立以来、仕事と、目標である旅とのせめぎあいが、相変わらず続いていた
1994年もいよいよ暮れになり、
゛イスラム圏を垣間見たい...、欧州とアジアの入り口であり、出口でもある
オスマン帝国の都、イスタンブールへ...。゛という想いが、とうとう堰を切って
この年も女房に頭を下げたまま、空港にむかったのだった。
羽田から完成間もない関西国際空港へ。レンゾ・ピアノ(※ 1)設計の
流線形ターミナルは、光を鮮やかな銀色に跳ね返して、近未来が現代に
降り立った姿の様にみえた。
経由地であるオランダのスキポール空港の果てない広さに異次元を味わい、
イスタンブール上空に来た頃には、すでに起床してから28時間が経過し、
さすがに私は深い眠りの中にいた。
アタチュルク国際空港への最終着陸アナウンスが流れ、座席を
傾けていた私は、スチュワーデスに起こされてしまったのだが、もしあの時、
肩を叩かれていなければ、あんな感動を味わう事は出来なかったのである。
眠気まなこが見た、窓の外の景色は、夢の続きと言われても、
決して疑う事の出来ない、それはそれは幻想的なものだった。
゛こんな夜景がこの世にあったのか... 。゛
眠気は一瞬にして消え、息をのんでその美しさに見とれていた。
イスタンブールは、なだらかな丘の街であり、この中にいくつもの丸く白い
モスクと、鉛筆の様にとんがったミナレットが散らばっているのだが、
緑や黄色のカクテル光線にライトアップされたそれらは、漆黒の闇の中で、
この世の唯一の建築物であるかのように、プカプカと浮かんでいたのである。
゛アラビアンナイト ゛そのままを旅人に知らせてくれるこれ以上の演出は
ないであろう。
数々の夜景の中で、これを超える美しいものを、私はまだ知らない。
やはり...、やはり言い代えることを、お許し願いたいと思う。
゛地球に生きる生物の全ては、この夜景を見ずして死んではならない ゛と。
※1 レンゾ・ピアノ
(1937~ )
イタリア生れの建築家。
「構造」や「設備」の先端技術を積極的に建築の表現に取り入れ、とりわけ「構造美」という側面において際立った特徴を見せる「ハイテク(または「ハイテク建築」)」の旗手としてリチャード・ロジャース、ノーマン・フォスターらと並び称される。
様々な分野において先駆的な活動をなす専門家との協働を通じ、前衛的な思想、最先端の技術を盛り込んだ数多くの提案を行っている。中でも、カリスマ的構造エンジニアであるピーター・ライス、先述のロジャースとの協働によるパリの「ポンピドゥー・センター」は、ファサードに沿って登る階段、むき出しの配管など、その特徴的な外観とも相俟って「ハイテク」の代表作に数えられる。
その他、ジェノアの「レンゾ・ピアノ・オフィス」、ヒューストンの「メニル美術館」が有名。我が国では「関西国際空港」によって一躍その名を知られるようになった。
近年は周辺環境との調和を重視したものが多くみられるようになり、そのイメージを少しずつ変えつつある。