~ 第6節 英雄の墓 …
           イスタンブール・2 ~


 ゛イスタンブール ゛...なんと異国らしい響きだろう。

 前節に書かせて頂いたが、飛行機から見たアラビアンナイトは、
眼下のモスク(前節 ※1 )の設計者に逢いに来た私の胸を、
早くも小気味よい緊張の高鳴りで覆ってしまった。

 トルコ共和国は、アジア大陸からヨーロッパ大陸に向かって突き出た半島だ。
首都イスタンブールは、この両大陸を隔てるボスポラス海峡の西側、
つまりヨーロッパ側の古都である。
 
 この街は、ボスポラス海峡から西に細長く入り込んだ金角湾により、
南北に分けられ、グランバザール、トプカピ宮殿、オリエント急行終着駅
シルケジステーションや数々のモスクなど、旅人の憧れである南側の旧市街と、
住宅、オフィス、店舗やホテルが立ち並ぶ北側の新市街とを、古来から
ガラタ橋が結んでいる。
 今でこそ街の名はイスタンブールだが、有史以来、戦略の要衝であったため、
ビザンティオン、コンスタンティノポリスと名前を変えながら、
悠久の繁栄を続け、゛コンスタンチノープルを制する者は、世界を制する ゛と
言われながら、世界にその名をはせて来た。
そして15世紀に世界を制したオスマン帝国の都として、イスタンブールは、
世界の都となった。

 オスマン帝国の王はスルタンと呼ばれ、モスクはジャーミーと言う。
いくつかのモスクには、王の名前が付いていて、
「スルタン・アフメット・ジャーミー 」と言えば、それはアフメット王の
モスクと言う意味で、別名「 ブルー・モスク 」として有名だ。

 その500年に渡るオスマン朝が、最盛期を迎えた第10代に、スレイマンと
いう王がいた。
16世紀の中の半分を統治したこのスルタンは、政治的・経済的手腕はもとより、
文化・芸術にも深い造詣を持ち、しかも大変な美男子であったと言う。
歴史の物語性に相応しい、大帝中の大帝は、その歴史の中にやはり大建築家を
生んで、なおその物語を彩っていく。
 
 その宿命的建築家の名は、゛コカ・ミマ―ル・シナン(※ 1)゛。
ミマ―ルとは ゛建築家 ゛の称号の事で、現在でもトルコの教科書では、
彼の生い立ちから始まり、帝室造営局長として3代のスルタンに仕え、
99歳に至るまで、その才能をいかんなく発揮し、今も国民の絶大な人気を
得ていることを記している。
゛スルタン・スレイマン・ジャーミー ゛は、そんな二人の歴史の結晶として、
街を見下ろす丘の上に、堂々と建っていた。

 白灰色が基調のこの大モスクは、なんと28個のドームが連なる回廊を持ち、
中央には、高さが53m、直径26.5mの巨大メインドームが、どっしりと
乗っている。
シナン設計のモスクとしては最大のもので、しかも人を祈りに導くための、
端麗にして優雅なその姿こそ、宗教建築の理想を見せつけられた様な想いがし、
私は只々ため息をつくばかりで、ずっと立ち尽くしてしまった。

 緑色の垂れ下がった重いシートをめくり、室内に入る。
 
 見上げれば、イスラムレッドと白灰色の縞模様が、数々のドームを縁取る。
天空の、巨大ドームのステンドグラスから差し込まれた淡い光は、高き壁に
刻まれたアラビア文字のコーランを照らす。
それはアッラーからの、スルタンへの、そして民への導きをいざなう。
そして無数の幾何学模様と共に、空間に厳粛なリズムを与えている。
キリスト教などの偶像崇拝を禁じるイスラム寺院に、これ程清廉な気高さを
感じてしまうとは、ついぞ思ってもみなかったのである。

 視線を水平に落とすと、大きな輪を幾重にも作って、無数のオイルランプが
下がっている。
今でこそ、それは電球になっているのだが、当時のオイルが焼け付く臭いや、
さらに暗かったであろう祈りの空間を想像してみた。
  ゛薄暗い ゛とは明らかに違う ゛ほの暗い ゛という言葉が演出する、
神聖な祈りに値する空気を全身に感じたまま、床の赤じゅうたんに目を移せば、
静粛に繰り返されるムスリム達の敬虔な動きが、その ゛ほの暗さ ゛の中で
うごめく。

 7年という建設の時間を経て果たされたものは、紛れもなく
゛その建築にあるべき責務 ゛に他ならない事だったと確信した。
残念ながら私は、イスラム教の6信5行(※ 2)を理解するに至ってはいない
のだが、祈りの空間に必要な演出というその責務は、祈る側の才能によって
創られるに違いないと、その確信をさらに確信した。

 夕刻になった。
傾いた日差しが、沢山のドームをオレンジ色に染める。
立ち去りがたい想いが募った。
゛シナンに自分の気持ちを告げる為に、ここを出よう。゛と、モスクを背にした。

 ちょうどイタリアではルネサンスとして、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ達が
活躍していた時、アジアとヨーロッパの交点では、全く違う宗教建築の華を司る
大建築家がこうして存在した。
その墓が、このモスクの裏手にあるらしい。

 物売りの女の子が近づいてきた。
私は『 シナン、シナン... 』と連呼するしか出来ない。
しかしその女の子は、すぐに私の手を引いて、シナンの墓に連れて行ってくれた
のである。

 当時、総じてイスラム圏の子供たちは、学校に通う生徒であるべき姿と、
家族を養うべく、生活費を稼ぎ出さねばならない姿の、両面を強いられて
いたのだが、大きな黒い瞳の健気な女の子を見ていたら、何故だか涙が出てきて
しまった。

 私は、人類史に残る偉大な建築家には不似合いな、小さな祠に向かい、
胸の中でこう言った。

゛シナンよ、貴方の才能と言動は今もこうして理解されている...、
 いや,見事に生きていますよ...。゛と。




※1 コカ(コジャ〉・ミマール・シナ
(1488頃~1588)
中世、オスマン=トルコ帝国最盛期のスレイマン1世に仕えた宮廷建築家。被征服者層であるキリスト教徒の子弟で構成される「イェニチェリ」出身で、スレイマン1世を含め3代にわたって仕えた。
モスクに見られるアーチ型天井の構造を確立した人物として知られる。寺院・水道橋・貯水池・浴場など300を超えるといわれる数多くの国家プロジェクトに携わった。代表作として、スレイマン・ジャーミー(イスタンブール)の他、セミリエ・ジャーミー(エディルネ)、トプカプ宮殿の厨房などが知られている。文中に名が挙げられたアフメト・ジャーミーはシナンの弟子にあたるアフメト・アーの作品である。







































※2  6信5行
<6信>
イスラム社会における正しい信仰
①「神」
唯一神アッラーのみを信じる事
②「天使」
神によって作られ、神と人間の間で様々な役割を果たすもの
③「啓典」
神が預言者ムハンマドに下した言葉を集めたもの
④「預言者」
神がこの世に遣わした最後の預言者であるムハンマド
⑤「来世」
終末を迎えたのちに神によって下される審判
⑥「天命」
運命はすべて神によって定められている事
<5行>
神に奉仕する5つの正しい行為
①「信仰告白」
②「礼拝」
1日5回礼拝を行う
③「喜捨」
富める人は貧しい人に施しを行う
④「断食」
ラマダン月の1ヶ月間、日の出から日没まで飲食を断つ
⑤「巡礼」
一生に一度は聖地メッカに巡礼する