~ 第7節 宗教の光と影     
    … イスタンブール・3 ~


 前節の、スルタン・スレイマン・ジャーミーが、オスマン帝国の金字塔で、
イスラム文化・宗教の一つの集大成として光を放つとすれば、
その街の歴史の中で、宗教の影の部分を、ずっと一手に引き受けてきた建物が、
もう片方にある。

 ゛アヤソフィア博物館 ゛がそれである。
ビザンチン様式の、世界に類を見ないこの壮大な教会が、今なぜ博物館なのか...。
それは、1700年に及んだこの建物にまつわる歴史を、紐解く以外にない。

 まだギリシャ神殿があった街の東方の丘に、4世紀、ローマ皇帝
コンスタンティヌス二世は、キリスト教会を建てた。
最初の ゛セント・ソフィア ゛である。
その後、不幸な放火や破壊などがあり、幾度かの建設を繰り返す。
ローマ帝国の東西分裂を受け、コンスタンチティノポリスとして、
東ローマ帝国の首都となってから、いよいよ6世紀半ばに
ユスティニアヌス帝は、二人の建築家アンテミウスとイシドロスを呼び、
6年の歳月をかけて、セント・ソフィア教会を東方正教会の総本山にするよう
大号令をかけた。

 全長77mという大きさは、勿論当時としては桁外れに大きかった。
そこに高さ55m、直径36mというドームを乗せたのだから、信者でなくとも
胸の前に指を組んで仰ぎ見たに違いない。
このドームこそ、後のイスラムモスクに多大な影響を与えた。

 内部の壁は深緑色の大理石で統一され、ドームは純金に輝いていたという。
1㎝角の、小さなガラスモザイクを貼り詰めて作ったキリストの壁画は、
それだけでも、信仰の敬虔さを現した。
以降900年に及び、ビザンチンのギリシャ正教会総本山として、
そびえ立っていた。
もっともこの頃は、教徒においても男女の差別があり、女性はスロープを
繰り返し上がって、2階の回廊からのみ礼拝が許されていた。
しかし、この間も13世紀の十字軍遠征のよって、黄金のモザイクや、聖堂内の
装飾物が持ち去られてしまった歴史がある。

 また、キリスト教内での解釈権は、非情な歴史も持つ。
40年に渡り、強制改派をさせられて、再びカトリックからビザンチン正教会に
もどる。

 そしていよいよ15世紀、オスマントルコの大群がこの丘を取り囲む。

 正教徒たちは神の救いを求め、聖堂内はもちろん、アヤ・ソフィアは悲痛な
叫びの老若男女に満ち溢れていた。
2階に延々と続くスロープの中では、女性たちが怯えながら肩を寄せ合っていたのだろう。

 宗教の改派、改宗がどんな意味を持つのか、科学的にも平和を享受している
現代の、まして日本人には想像がしにくい。

 命をどう守り、どう捨てて行ったのか...。

 歴史に繰り返す征服の瞬間には、必ず数えきれない ゛嘘 ゛があった筈だ。
征服者はその ゛嘘 ゛こそを征服しようと、被征服者の命と引き換えに
あらゆる手立てを講じる。
そんな中、スルタン・メ?メト二世は、アヤ・ソフィアを至極当然に、
ジャーミーに改修させた。
 十字架を取り外し、コーランを唱える高い尖塔(ミナレット)を立て、
メッカの方向を表すくぼみ(ミヒラブ)を付け、説教壇(ミンバルシュ)や
聖泉(サディンバル)を置き、ここにアヤ・ソフィアは、スルタン・メフメト・
ジャーミーとなった。
 18世紀、スルタンは堂内の黄金色のモザイクを、漆喰で塗り隠すに及んで、
ついに正教会の瞳孔が、完全に閉じたのである。
 オスマントルコがトルコ共和国となり、初代大統領アタチュルクが
モスク内のモザイク画を復元させ、博物館としたのは1932年、
ついこの間の事と言ってよい。


 私は、この聖堂でありモスクでもあったドームの真下に歩を進めた。
今まで体験したことのない、圧倒的なボリュームの空間の中心に立ち、
博物館内に流れるひんやりとした空気の向こう側を、ゆっくりと見渡した。

 深緑色の壁の中に、黄金のキリストがいる。
同時に、幾何学模様に埋まったドームには、アラビア文字のコーランが
高く掲げられている。

 平和の中にある宗教が、平和を願う宗教と対峙する時、必ず人の命が消えて行く。
特に大宗教の中でイスラム教は、1400年の歴史があるとはいえ、
最も若い宗教だ。
他宗教にはない戒律宗教であり、原理主義が根強い。
宗教に祈り以外の、何か見えない力があるとしたら、私はイスラム教にそれを
一番感じている。
 イスラム教徒は ゛世界で一番平和な宗教 ゛と信じている。
その平和を脅かすものには、聖戦(ジハード)を挑み、アッラーの元に
行くことが、最良の幸福なのである。
50年前の日本にも、天皇を脅かすものには特攻教育があり、靖国へ昇華した。
平和のための宗教と戦争は、必ずセットになって歴史を作って来たという
矛盾を持つ。

 ドームの中に幾筋もの光が差し込んでいる。

 聖人ソフィアも、ローマの皇帝もスルタンも、決して人間の血を好んだ訳では
なかろう。
しかし、宗教建築の厳粛さの裏側には、必ず今の平和と、また違う平和を
創るための戦争との、なんとも理屈に合わぬせめぎあいが隠されている。


 ゛アヤ・ソフィア ゛
何と平和な響き...、そして何と美しき異界的空間...。  
しかし...、
アヤ・ソフィアを後にしようとして、背中に感じた光は、何の保証もない
今日の平和の事だったのだろうか...。