~ 第9節 それでも生きる     
         … カイマクル ~


 トルコの旅で、ひときわ強烈な印象を受けた場所がある。

この国の中央部にはアナトリア高原が広がり、そのまた中央に
ネフシェフールという街がある。
トルコには昔のシルクロードが3つ通っていて、この内の1つである現在の
国道90号線を、私はアンカラから南下し、この街に向かった。

 360度どこまでも続く高原の雪の丘陵は、ただ波打つように繰り返すだけで、
見えるものと言ったら、道路沿いに細々とした1本の電線をつないでゆく、
ひょろりとした木製の電柱だけである。

 ネフシェフールから東に行けば、奇岩群で有名なギョレメや、無数の岩窟が
あるウチヒサールなどに着くし、南に向かえば、カイマクルという小さな街に
出る。
これらの街を総称してカッパドキア地方と呼び、昔は ゛トルコの半分 ゛とも呼ばれていた。

 カイマクルは、一見何もない街に見えるのだが、何と地下都市が44カ所も
見つかった所だ。
1964年に最初の都市が発見されてから、現在も発掘中で、この先新たな発見が
あるかも知れない。
都市と言ってもその構造は原始的なもので、足元の岩盤の中にトンネルの
通路を掘り、アリの巣の様に横穴の居住室がめぐらされているだけなのだが、
驚いたのはその長さと深さである。

 地下8階の最深部は水槽となり、ここから1m角位の竪穴が一直線に
8階分を貫いていて、通気口になっている。
気温は常に14℃に保たれ、貯蔵庫、食堂、集会所から学校や教会まであって、
何と15000人のキリスト教徒達が、他教徒からの迫害を逃れてこの地下に
住んでいたという。
 ただし、いつの時代かと言うとローマ時代だろうという推測だけで、
正確な時代は謎だ。
ヒッタイトの鉄の発見は武器のみならず、避難の為の穴掘りの道具にも
なっていたのだろうが、それにしても一カ所しかない狭い入り口を入るや、
ガイドなしでは帰れない様な、果てしない迷路である。
しかも腰をかがめて、頭上に神経を集めないと歩けないのだから、
足元がまったくおぼつかないのだ。

 私は肩の触れそうなトンネルから、小さな穴だけの住まいを見て、
やはり大陸の民族対立と宗教対立の歴史を想った。
 こんな所で身を潜めながら共同生活を送り、互いに寄りどころを求めながら、
精神の安定を図ったのだろうか...。男が...女が...生まれてから...死ぬまで...。
余りにも日本とは縁遠い、命がけの逃避の果ての様子を想像して、私は思わず
背筋を凍らせた。

 下へ下へと伸び続ける、曲がりくねった1本のトンネルを見ていると、
人の生きようとする執念以外に、私の知り得る宗教性など微塵も感じて来ない。
 人間と動物との違いは、言葉と火を使い、笑うことだろう。
しかしこんな地下で炎を囲み、何をか話をしていたにしても、彼らの中にやはり
笑いが存在したとすれば、それはぎりぎりの緊迫した生命の中で、
一体どんな笑いだったのだろうか。

 
 その昔、カッパドキア地方に住んだこれらの人々を ゛世捨て人 ゛と
呼んだそうである。
穴から這い出しては穴に戻る生活は、隠とん者の様に映ったのだろう。
神を恨むことはなかったと言えるのだろうか...。
祈りが果たしたものとは何だったのだろう...。

 もしかすると、今の宗教とは ゛命懸けの祈り ゛という点において、
余りにも大きな違いがあったのかも知れない。

 地球の何億年という年輪が生んだ、キノコの様な奇岩群を見ながら、
私は人生に与えられた時間と祈りに想いをはせた。
 そして、現在の日本に生きる人間として、建築家として、
゛感動 ゛という、神が宿る様な建築を、永く創り続けたいと強く想った。